“・湯のみとごはん茶わんの店『ほ+』に、
やって来たくださった方々、ありがとうございます。
開店して一日で、6割以上のお茶わんが売れました。
わかってもらえてること、ほんとうにうれしいことです。
ここであつかっている「茶わん」は、
「商品」だけれども「作品」です。
お金で買うことのできる「作品」というわけです。
版画なんかと似たような性質のものかもしれません。同じようなものを、どこか人件費の低い国で、
大量につくって売るということは、できないでしょう。
それは、あくまでも「同じようなもの」ですから。
もちろん「機能として、大きなちがいなんかない」です。
そうです、100円のお茶わんでも、機能は同じです。
そちらを選ぶ理由はいくらでもあります。
ピンからキリまであるものの、
どれにも存在理由はあると思います。
ただ、「この人の、こういうものがいい」と、
つくられた人やものに、共鳴するような感覚で、
愛着を持ってつかったり、目でたのしんだりするには、
ある程度以上の「作品性」がないとつまらないですよね。
それは「品質」という、管理できるものとはちがう。
好きな文章とか、好きな演奏とかのようなものかなぁ。
そういう「愛着」に関わるようなものは、
「商品」にはなり得るけれど、
大量に複製をつくるための効率化がやりにくい。
徹底的に「人の手」を要求するものです。
工業社会は、「人の手」を
要らなくする方向に進歩してきたのですが、
「作品」を生みだしたいという場合には、
面倒で非効率であっても、「人の手」が必要なのです。
つくられるべき「作品」が、人の手を求めている。
そういうことなのだと思います。
人の、手や、たましいというようなものが、
じゃまにされずに歓迎されるのが、この世界です。
スポーツとかアートと、とてもよく似ていますよね。
ぼくがいま素朴な想像図を描いている
「東北手工業地帯」のビジョンって、こういうものです。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
”
「ほぼ日」も、けっこう手工業的な要素に満ちております。
糸井重里
(出典: 1101.com)